要約
- 日本とセルビアの外交関係は1882年に始まり、
除虫菊を中心に貿易や文化交流が深まり、戦後は経済協力も進展した。 - 両国は音楽、芸術、教育分野で活発な文化交流を行い、
日本文化はセルビアで広まり、逆にセルビア文化も日本で紹介されている。 - 経済交流は1952年に始まり、貿易や日本企業の進出、
無償資金協力が進み、農業やインフラの分野でも協力が進行中。 - セルビア産の除虫菊が金鳥の蚊取り線香の原材料となり、
金鳥とセルビアの歴史的なつながりが深まった。 - 今後、大阪万博2025を契機にさらに交流を深め、
直行便の設立や環境技術、EU加盟支援など新たな分野での協力が期待されている。
イントロダクション
日本の夏の風景にかかることができない蚊取り線香である「金鳥の渦巻」。
この原材料である除虫菊が、どの国から来ているか知っていますか。
多くの人は、この除虫花の原産地がセルビアだと知れば驚くことでしょう。
1882年に始まった日本とセルビアの両国の外交関係は、
今年で実に142年の歴史を重ねています。
この記事で、そうした日本とセルビアの驚くべき国際関係の物語を一緒にたどってみましょう。

日本とセルビアの外交関係:歴史の架け橋
日本とセルビアの文化交流は、
1882年に明治天皇とセルビア王国のミラン1世との間で書簡が交換されたことから始まりました。
そして、先の通り、
1929年にセルビア産除虫菊をきっかけとした貿易や文化交流が始まり、
両国の友好関係は深まりました。

第二次世界大戦後の1952年、
当時のユーゴスラビア連邦人民共和国と日本は、
東欧諸国の中で最も早く国交を回復しました。
戦後の外交再構築を通じて、経済協力や文化交流が進みました。
2006年、モンテネグロの独立に伴い、
日本はセルビアをセルビア・モンテネグロの後継国として正式に承認しました。
以降、セルビアは日本との二国間関係を独自に築き上げています。
現代の外交関係において、日本はベオグラードに大使館を設置し、
セルビア国内での日本の公式代表として活動しています。
セルビアは東京都に大使館を設置しており、
さらに大阪府にはセルビア共和国名誉総領事館が存在します。
両国間では要人の相互訪問が頻繁に行われており、
例として、2018年に安倍晋三元首相が訪問し、
2024年には上川外務大臣が公式訪問を行いました。
また、日本は西バルカン地域全体の安定に向けた支援を実施しており、
セルビアのEU加盟を支援する国際的なパートナーとしても機能しています。
文化交流:互いを知り、理解を深める

日本とセルビアの文化交流は、
1882年の外交関係樹立以降、特に音楽、芸術、教育分野で発展してきました。
両国の友好関係の深化に伴い、
文化的な相互理解を促進するための多様なイベントやプロジェクトが実施されています。
日本政府による文化支援としては、文化無償資金協力があり、
日本はセルビアの文化・芸術団体への楽器、音響・照明機材の供与を行っています。
また、世界遺産修復のための技術支援や、
日本語教育施設への支援も実施されています。
さらに、草の根文化無償資金協力として、
セルビアの文化遺産の修復や保護を目的とした支援が行われ、
具体例として世界遺産である中世修道院の保全があります。
セルビア国内での日本文化紹介も盛んで、
アニメや漫画が広く知られており、関連イベントや同好会が活発に活動しています。
柔道、空手、剣道などの日本武道もセルビア国内で普及しており、
スポーツを通じた交流も進展しています。
また、和食や日本酒の魅力を紹介するイベントが定期的に開催され、
日本文化への理解が深まっています。
一方で、セルビア文化の日本での紹介も行われています。
東京や横浜で開催される「スラヴァ」と呼ばれる伝統文化の体験イベント、
セルビア料理のワークショップやワインの試飲会は人気を集めています。
また、日本国内で初めてセルビア語スピーチコンテストが開催され、
言語学習を通じた文化交流が進められています。
相互訪問とイベントも活発で、
セルビア大使館主催の文化イベントが頻繁に行われています。
ピアノコンサート、詩の朗読会、現代アート展示会など、
多彩なプログラムで両国の文化的結びつきを深めています。
両国の芸術家や文化団体が互いに訪問し、共同プロジェクトを展開しています。
経済交流:協力と発展の道のり
日本とセルビアの経済交流は、
1952年にユーゴスラビア連邦人民共和国(現、セルビア)と国交を回復したことから始まりました。
その後、通商航海条約や無償資金協力、技術協力を通じて関係が深まっています。
現代の経済交流の概要として、まず貿易関係が挙げられます。
2023年の貿易総額は、日本からセルビアへの輸出が約69.3億円で、
主な品目はゴム製品、医薬品、織物用糸であり、
一方、セルビアから日本への輸入は約535.2億円で、主な品目はたばこ、衣類です。
日本企業のセルビア進出も活発化しており、主な進出企業としては、
日本電産がセルビアに工場を開設して地元雇用の創出に寄与しているほか、
矢崎総業は自動車部品関連の事業を展開し、
関西ペイントはセルビア市場で事業を拡大中です。
経済協力とODAにおいては、
日本はセルビアに対し無償資金協力や円借款を通じて、
インフラ整備や公共サービスの向上を支援しています。
具体的には、2003年にベオグラード市に93台のバスを供与しました。

最近の活動とイベントとしては、
2024年にベオグラードで開催されたセルビア・日本ビジネスフォーラムがあり、
ヴチッチ大統領が日本企業のさらなる投資を呼び掛けました。
セルビアはEU加盟を目指しつつ、安定した経済環境を提供することで、
投資の魅力を高めるとのことです。
また、大阪万博2025への出展を予定しており、
経済・文化交流を深める場として活用する計画です。
さらに、農業分野での協力も進行中で、セルビアの農産物(特に果物や野菜)は、
日本市場への輸出が増加傾向にあります。
また、日本からセルビアへの農業技術移転も進行中です。
今後の展望としては、交通インフラの強化が挙げられます。
日本とセルビア間の直行便設立が検討されており、
これにより貿易と投資のさらなる促進が見込まれます。
新規分野での協力としては、
環境保護、再生可能エネルギー、IT技術などの分野での協力が強化される見通しです。
地域協力とEU加盟支援においても、
日本はセルビアのEU加盟を支援しており、
これを通じてセルビア経済の近代化を促進する計画です。
セルビアと金鳥:意外な歴史的つながり
実は、日本とセルビアの関係には、
除虫菊を通じた興味深い歴史があります。
もともと除虫菊は、ユーゴスラビア(現セルビア共和国)が原産地で、
その効用が14〜15世紀に発見されたと言われています。
そして、1886年、大日本除虫菊株式会社の創業者である上山英一郎が、
アメリカの貿易商H・E・アモア氏と出会い、
当時日本になかった除虫菊の種子を手に入れたことで日本に入ってきました。
これ以降、除虫菊を通じて、
セルビア共和国と金鳥とのつながりが始まりました。
日本の除虫菊栽培量は順調に増加し、
1905年には、日本産除虫菊の本格的な輸出が始まりました。
当時、除虫菊のほかに殺虫剤原料はなく、害虫対策の重要な商品でした。
1920年代に日本の除虫菊の輸出量は、ユーゴスラビアと競合するまでに成長し、
1930年頃にはその生産量は世界一となりました。

このように除虫菊の用途を開発し、
効率のよい除虫菊の栽培方法を考案して生産量を拡大したことから、
1929年に、当時の国王アレキサンドル一世は、
英一郎に大阪駐在ユーゴスラビア王国名誉領事の称号を贈りました。
第二次世界大戦後、1952年にユーゴスラビアと日本との外交関係は、
東欧諸国の中で最も早く復活したしました。
しかし、金鳥との親交は、一度は途絶えていましたが、
上山直英社長が在大阪セルビア・モンテネグロの名誉総領事に就いたことで回復しました。
これは、セルビアと日本が伝統的に培ってきた友好関係を、
さらに発展させたいという想いがこめられたものです。
未来への展望:さらなる協力と友好
今後、日本とセルビアは大阪万博2025を通じてさらなる交流を深める予定です。
直行便の設立や、環境保護、再生可能エネルギー、IT技術などの新分野での協力が期待されています。
日本はセルビアのEU加盟を支援し、両国の関係はますます発展していくでしょう。
142年にわたる友好の歴史は、
遠く離れた二つの国が互いを理解し、
尊重し合うことの素晴らしさを教えてくれています。
日本とセルビアの物語は、
国際関係における希望と可能性を示す、輝かしい一章なのです。

参考文献
外務省(2024)セルビア共和国基礎データ(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/serbia/data.html, 2024年12月13日 アクセス).
大日本除虫菊株式会社 (NA) セルビア共和国と金鳥 (https://www.kincho.co.jp/kaisha/serbia/index.html, 2024年12月13日 アクセス).
セルビア共和国大使館(2024年12月11日 更新) ニュース (http://www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/news.php, 2024年12月13日 アクセス).
日本セルビア協会(NA) 日本との関係 (http://www.nihon-serbia.jp/cn6/relationwithJapan.html, 2024年12月13日 アクセス).